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横綱の昇進

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昇進はどのようにして伝えますか?

番付編成会議で横綱昇進が決まると、決定した当日に使者が派遣されます。協会の使者は2人で、理事1人と審判員1人の構成です。使者は相撲部屋に出向き、部屋の師匠(親方と横綱本人に昇進を伝達することになっています。部屋では師匠の妻、おかみさんを加えた3人で共に迎えるのが普通です。これがいわゆる「横綱伝達式」です。

横綱伝達式でどんな言葉が交わされますか?

伝達式そのものが一定の形式を踏まえたものであり、雰囲気も厳粛です。使者は力士、師匠、おかみさんに向かい、大体、次のような口上を申し上げます。
「本日、番付編成会議および理事会におきまして大関○○山は満場一致で横綱に推挙されましたことをお伝えします」

これに対し、新横綱は次のような内容の日上で答えます。
「慎んでお受けします。横綱の名をはずかしめぬように精進致します。」

使者と新横綱の回上は大体固定していますが、その表現は少しずつ変えられることがあります。横綱貴乃花の伝達式では、次のような口上で使者に応えました。
「慎んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で、力士として相撲道に不惜身命を貫く所存でございます。本日は誠にありがとうございました。」

横綱審議委員会の構成員には誰がなりますか?

「相撲を最も愛好し、相撲に深い理解を有する各方面の良識者をもって構成する」となっています。相撲協会員は横綱審議委員会の委員にはなれません。横綱審議委員会は15名以内で、協会が委嘱します。

横綱審議委員稽古総見とは何ですか?

東京本場所の約1週間前に国才支館の中にある相撲教習所に横綱審議委員のメンバーを招き、連合稽古を披露します。稽古は横綱、大関を初め、幕内上位の力士が参加して行われます。

横綱が同時昇進したとき,横綱代数はどのように決めますか?

昇進した時点では決めず、引退の早い横綱を順に若い代数にすることになっています。

横綱はいつから番付に載りましたか?

「横綱」という文字が番付に初めて使われたのは、明治23年(1890)5月場所の第16代横綱西の海(初代)からです。しかし、その横綱は最高の地位として確立したものではありませんでした。それが正式な地位として確立したのは明治42年(1909)です。その年、横綱を最高の地位とすることが協会の規約に明文化されたのです。

横綱の「綱」には由来がありますか。

横綱の始まりは、地鎮祭のときに張る注連縄(しめなわ)にあると言われています。地鎮祭では、強い力士が四股を踏み、地を清めました。これは「地踏み式」あるいは「地固め式」とも言われています。この地踏み式を相撲に取り入れ、儀式化したのが横綱土俵入りだというわけです。最初の頃の横綱土俵入りでは、注連縄を腰に巻いていました。その注連縄は最初の頃、あまり太くありませんでしたが、明治中期の西ノ海(初代)あたりからどんどん太くなりました。

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